ぼくは自分の幸せを、家族に押し付けていないだろうか?
今日ふとそんな事を考えた。
幸せの押し付けとは、自分が幸せだと考えていることを、同じように他人も幸せに感じていると考えることだ。
幸せの押し付けをしていないか?
ぼくの幸せはぼくのものさしでしかない
ぼくは今幸せだ。
7月に娘が元気に生まれてきてくれて、4歳の息子も元気に育ってくれている。
妻とはケンカもなく仲良く。。。って訳でもないが、それなりに仲良くやっている。
給料はとても満足できるものではないが、それなりに生活できるだけのお給料をくれる仕事をもらえている。
庭でバーベキューをやれるような大きな家には住んでいないが、雨風をしのげる家には住めている。
100g1,000円以上もするお肉を毎日は食べられないが、お腹いっぱい食べて満足に寝れるだけの食事はできている。
これだけの事や物がぼくにはあり、とても幸せに感じている。
でもそれはぼくだけ。
家族は幸せではなく、不満たっぷりなのかもしれない。
家族の幸せとは
本当はもっと大きな家に住みたい。
本当はもっとたくさん美味しい食事をしたい。
本当はもっと色んな場所に旅行へ行きたい。
「本当はもっと」という言葉が、たくさん出ているのかもしれない。
でもそれらを我慢して、ぼくに言わないだけかもしれない。
今のお給料でも何とか生活できて幸せだと感じているのはぼくだけで、家族はもっと良い生活をしたくて不幸せに感じているのかもしれない。
別に妻や子供からそんな言葉を言われた訳ではないが、自分が感じている幸せは、自分基準でしかわからないということを思った。
幸せは幸せと感じて良いが
自分が今の状況を幸せに感じることは、何の問題でもない。
しかし自分が感じているように、家族も同じように幸せを感じているのかは別問題だということ。
だからといって卑屈になる必要はない。
でも今の状況で幸せに感じるからといって、今の状況に満足してはいけないということ。
「もっと稼げる仕事をしたい」
「もっと自分の好きなことをやって、お金を稼ぎたい」
そう考えていたとしても、今の状況で幸せを感じていたら、ストイックに頑張ることはできないだろう。
頑張っていたとしても、それは他人からみたら「もっともっと頑張れよ!」ということになるだろう。
まとめ
現状に幸せを感じることは悪いことではない。
しかし今の状況では満足できていない家族がいるとするならば、もっと頑張らなくてはいけないだろうということ。
何度も言うが、幸せを感じることは良いことだ。
でもそこで満足してはいけない。
そう考えた秋の夜長でした。
今回も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。次回の記事もお楽しみに。