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自分のことを棚に上げても言わなくてはいけない時がある

今日『目標達成コミュニティ』の仲間から、こんな相談を受けた。

「あるコンテストに出すコピーを考えているんだけど、ちょっと読んで欲しい」とのこと。

「素人目線でのコメントしかできないけれど、それでも良かったら読ませてね」と伝えたら、彼は考えていたコピー13個を読ませてくれた。

そしてぼくが返事した内容はこうだ。

「正直に厳しめの感想を言わせていただくと、N君だからこそのコピーがなかったかな。
交通安全のコピーでも、違うコピーでも、毎回N君らしさが必要だと思うんですよね。
例えば
・言い回しが上手い
・表現方法が絶妙
・比喩表現に深みがある
・大人の笑いが含まれてる
・どこか妖艶さを感じる
こんな感じ?
凄い勝手なことを言ってるとは思うのですが、今後も色んなコンクールに応募することを考えると、少しづつでも『N君らしさ』を見つけていって欲しいな〜と思いました😄」

ぼくはこのコメントをしてから、ずっと悩んだ。

おれはそんなコメントを言える立場か?」と。

自分のことを棚に上げても言わなくてはいけない時がある

自分ができてなくてもいい

自分のコメントを読み返した時、「おまえはどこの評論家だ?」とツッコミたくなった。

さらに「N君らしさってなんだ?」

「N君の何をどこまで知っていて、そんなことを言っているのだ?」

「この短い文字数で個性を出すというのはどういうことか、やってみろよ!」

自分に対して、たくさんの攻める言葉が出てきてしまった。

だから自分でも考えてみた。

交通安全コピーを考えてみた

ぼくが考えたコピーはこれだ。

  • 見返りを 求めず行う ゆずりあい
  • その正義 いつかあなたを 傷つける
  • あおるほど 誰もあなたを 待っていない

どうだろうか?ぼくらしいコピーとなっているだろうか?

そもそもぼくらしさとは何だろうか?

人に対してコメントできるほどの能力を持ち合わせていないことを痛感した。

それでもぼくはコメントする

ぼくは他人にアドバイスできるほどの文章能力、語彙力を持ち合わせていないことをよくわかった。

しかし自分ができないからといって、感想を伝えてはいけないのだろうか?

自分にその能力がないからといって、仲間が感想を求めているのに無視していいのか?

そんなわけないだろう。

仲間が求めているのだから、正直、素直に、自分が感じたままを伝えれば良いのだ。

正直に伝えることは、仲間だからこそできることなんじゃないのか?

ぼくはそう思った。

時には、自分のことを棚に上げても、言わなくてはいけないことがある。

相手に遠慮して伝えないことは、『能力がなくても偉そうに言うこと』よりも、失礼で愛のない行為になることがあるのだ。

まとめ

ぼくは仲間を愛している。

お互いに今はまだ遠い夢に、近づこうとしている仲間だから。

だからこそ、時には自分のことを棚に上げても言わなくてはいけないことがある。

逆に自分が言ってもらう立場だとしたら、相手の能力云々を抜きにして、全ての言葉を聞き入れることができるだろう。

そうでなくては、仲間と一緒に成長することは難しいだろう。

今回も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。次回の記事もお楽しみに。

N君へ
今日は偉そうなことを言ってしまってごめん。でも本気で応援しているから!

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